街道の合流点・日光今市から、世界一の杉並木を歩く旅|旅人:棚橋麻衣
2012-06-08
栃木生まれ、栃木育ちの旅人・棚橋麻衣です。
今回の旅は、栃木県と来たもんで、そりゃそりゃテンションも上がります。
『街道の合流点・日光今市から世界一の杉並木を歩く旅』
数年前の市町村合併により、当時「今市市」だった街は、
今現在「日光市今市」となっています。
「日光」と聞くだけで、
「あぁ、東照宮のね!」「行ったよ、修学旅行で~」
なんて連想してしまうだろうけど、
同じ日光市でも「今市」はそれとはまた違う文化や歴史を持った街。
というわけで、宇都宮駅からJR日光線に乗り今市へ!
宇都宮駅の日光線のホームだけは、かなりモダンな造りになっていて、
旅への期待を膨らませてくれます。
心地良い揺れに身を任せ、うとうとし始めた頃に到着!今市駅
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朝の東京駅で感じた空気とは全然違う。周りの山々から運ばれてくる少し冷っとした爽やかな空気。向こうに見えるのは男体山だー。
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まずは、今市のことを知るために
日光市歴史民俗資料館へ。
ここでは、日本橋から数えて20番目の宿場町だった今市宿の歴史はもちろん、
今市に関わりのある街道の歴史やその土地で育まれた文化を、
写真や資料から学ぶことが出来る。
展示を見ながら、資料館の伴場聡さんにお話をうかがいました。
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今市の街を中心としたいくつかの航空写真があり、
それを見ると、「日光街道」「日光例幣使街道」「会津西街道」の三街道が、
各方向から今市を目指して延びているのがよく分かる。
また、入り口すぐ正面に、横に輪切りにされた杉の木が飾られているのだけど、
これが…めちゃデカイ!!!!
目の前に立ったら、
目だけじゃなくて顔全体をぐるっと動かさないと全体が見られないくらい。
杉並木街道の杉は平均が370年、
これが12415本で街道沿いに37キロ並んでいるというんだから驚き。
しかも、なぜ植えられたかがはっきりと分からないという不思議さ。
…これがまた歴史好きのロマンチックな心をくすぐるんだろうなー。
資料館には、江戸時代に使われた絵図もあり、
そこには等間隔で並ぶ杉の木が綺麗に描かれている。
確かに先人は、もしかすると私の祖先も、この杉を見ながら街道を歩いたに違いない。
そして、ここ今市で、たくさんの人、モノ、文化が出会ったんだろうな。
「でも…昔は、5万本くらいの杉があったんですよ。」伴場さん。
戦争や道路の拡張工事などの影響で枯れてしまったり、切られてしまったり…。
杉の木が減ってきているという現実に、触れることとなりました。
緑豊かな大自然に囲まれた今市。
町中がノンビリしているかと思えば、
街道にぶつかると一変、とにかく車通りが激しい!
特に、日光街道と例幣使街道の分岐点は、これから日光へ向かう人、
あるいは帰る人なのだろうか、忙しない。
…と、そんな分岐点のちょうど三角形のところにいるのは…
あれ?大きなお地蔵さん??
ということで、追分地蔵尊に到着。
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両サイドに大きな街道が通っているにも関わらず、
一歩境内に入るとなんだかホッと落ち着くような雰囲気。
杉の木にも負けない存在感の大きなお地蔵さんが、穏やかな顔でこちらを向いている。
「石造りの座ったお地蔵さんでは、北関東一の大きさなんです。」と教えてくれたのは、
追分地蔵尊堂守の石上清さん。
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頭から足までは、
2メートルもあるらしい!
座っているのに、このサイズ!
杉並木街道を背にして、ちょうど今市の街を見守っているようなかたちになる。
いや、これだけ大きかったから、
その先の日光までもしっかり見えるんじゃないかなー。
昔は、24日をお地蔵さんの日として、
その前日の23日を町の人たちと祝っていたんだそう。
出店がズラーっと街道中に並んで賑わって、
し・か・も、男性と女性が出会うきっかけになる日でもあったんだってーきゃー!!
皆、お洒落して出掛けたんだろうね~。
そんな男女の出会いも、お地蔵さんは見続けて来たんだな。
はぁ、ありがとうございます。
お地蔵さんの周りに置かれている小さなお地蔵さん達は、
お地蔵さんにお願いごとをして叶った人達がお礼で祀ったものなのだとか。
わー!私もお願いします!!
石上さんに、お地蔵さんにお参りするときの言葉を教えてもらった。
「おんかーかーかびさまいえそわか」これを10回。
何をお願いしたかは、ヒミツです。ウフ。
さて、次に向かった先は今市報徳二宮神社
あの有名な二宮金次郎、後の二宮尊徳先生が祀られている神社。
鳥居をくぐると、正面に木造の拝殿。
綺麗に手入れされ静かに佇む様子に、なんだか心が和みます。
その拝殿の近くには、背中に薪を背負い
本を読む二宮金次郎の銅像が!
小学校の頃、宿題をやらずに遊んでいる私を見たおじいちゃんが、
「お前は恵まれているんだぞ!二宮金次郎はな…」と話をしてくれたことを思い出しました。
…なんて、私の思い出話はさておき、
今市報徳二宮神社の宮司の武内節史さんにお話しを伺いました。
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「二宮尊徳先生は、各地の荒れ地開発を行った人です。
その集大成で、日光今市の開発に取り組み、ここでその生涯を閉じたのですよ。」
と、話を聞かせてくれました。
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先日、150年祭を終えたというこちらの神社には、
尊徳先生のお墓もあるということで見せていただきました。
ちょうど拝殿の裏側、うっそうとした中に石碑が建っており、
その後ろに土が盛り上がった部分がある。
これが、質素倹約を好んだ尊徳先生のお墓。
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気張らずおごらず、
「自分のことよりも他人の為に生きた方なんだな」と
納得することばかり…。
さらに、境内にある二宮神社宝物館報徳文庫を見学。
尊徳先生の残した直筆の手紙や遺品などを大切に保管しておくため、
外気をシャットアウト。
ガラスケースに入れられた巻物や手紙などはとても綺麗で、
尊徳先生の息づかいが聞こえてきそう。
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先生が着ていた羽織や使っていたお弁当箱なんかもあって、当時の生活の様子が伺える。
お弁当箱が結構大っきいのには、ちょっと笑った。
よく食べる体の大きな方だったらしい。
気になるものも発見!
『二宮尊徳翁遺訓』とある。
白い紙に先生の教えが10つ書かれたもので、最初から「うっ…」ってなった。
一、働きを最上の喜びとし勤労を尊びを大切にする
二、自分の力で自分の生活を建設する
私のみならず、スタッフも購入。
(PCに向かっている私の目の前に貼ってあります、なう)
武内さんから『尊徳まんじゅう』までお土産に頂き、神社を後にしました。
尊徳まんじゅう、しっとりとした皮にこってりこしあんが美味しい。頭が良くなりそう!
(こんなことを思っている時点ですでに…)
さぁ、いよいよ、世界一の杉並木を歩きます!!
ガイドしてくださるのは、
日光杉並木街道の保護活動に取り組むボランティアの栗原貞男さん。
杉並木街道に隣接した杉並木公園で待ち合わせをしました。
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日光の山々をずっと近くに感じながらボーッとしたい、そんな公園。
大きな水車もあって、水の音がとても涼しげ。
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もともと御殿場があった場所で、
昔は、日光を訪れる多くの外国客がここに泊まっていたんだそう。
「この景色は、本当に最高だよ!」
と笑顔で話す栗原さんを見ていて、
日光はもうすぐそこ!長旅に疲れた人々を、この大自然が癒したんだろうな…。
ふとそんなことを思った。
公園から杉並木へ入ると、ひんやり涼しい空気と杉の香り。
私の周りをぐるりと50メートルもあるという杉の木が取り囲み、
なんだか見えない誰かにそっと抱かれているような、そんな空間。
杉並木に沿って流れる小川は、日光の山から流れて来ている自然の恵み。
透き通った水は、杉の木の大切な栄養になる。
「あれ、見て!」
何やら名札みたいなものがかかっている。
これはその杉の木の持ち主の名前、気に入った杉は買うことができるらしい。
杉並木保護の活動の一つで、オーナー制度をもうけ、皆で守っていこうということだ。
また違うプレートもかかっている。
「Lの1334…?」
これは、東照宮から見て“Light”つまり右側の1334本目の杉の木って意味。
なんですが、ところどころ歯抜けになっている数字が…。
抜けている番号は、失われてしまった杉の木だそうだ。
けど、その近くには必ず小さな赤ちゃん杉がいて、
天に向かってぐんぐん大きくなろうとしている。
栗原さん達の保護活動が活発に行われている証拠なんだ。
「とにかく見てほしい」と語る栗原さん。
確かにこの杉並木を歩いたら、そこから見えてくるものっていっぱいあると思う。
この杉並木が今もこうして残っているのには、何が欠けてもダメだった。
そこで生まれた文化や歴史、生活、人、モノ…
そして今は、それを守るべき時代に入ってきた。
まずは見ること、知ること、そして感動することが大切だな…と、
栗原さんの笑顔に教えてもらった気がする。
「今市」は、たくさんの想いが詰まっているそんな魅力のある場所。
日光への通り道なのではなく、日光へ向かいながら必ず立ち寄って欲しい。
今市を知ることで、日光が何倍もおもしろくなると思うから!
身も心も満たされた帰りの電車で、、、
あんな寝顔さえ撮られなければ、私のこの旅は美しかったのに!!
(やりやがったなー!スタッフー!!ちくしょー!!)