栃木県足利市 ~織物で栄えた学び舎のまち~|旅人:棚橋麻衣
2012-06-14
栃木の夜は、宇都宮で餃子を食べて、大盛り上がり。
翌朝、新たな栃木の魅力を求めて旅支度。
向かうは県の南西部、織物で栄えた学び舎のまち・足利だぁぁぁぁい!!
いえーい!!ひゃほーい!!
え?なんでこんなにはしゃいでいるかって?
ははは、恥ずかしながらワタクシ…足利…初上陸(爆)!!
足利ビギナーだけど、思いっきり足利の魅力を伝えようじゃないの!
まずは、足利市内の観光スポットの情報が知りたい!
向かった先は、市内の中心部に位置する太平記館
建物の中は、様々な施設のパンフレットや街の地図、
お土産や展示物などで充実していて、休憩スペースなんかもある。
平日の午前中だというのに、これから足利を散策する観光客で賑わっていて、きっとここで「今日の旅をどうするのか作戦を立てているのだろう……」
まさに足利の情報発信基地。
足利の歴史・文化・自然に楽しめる施設として平成15年3月30日に開館。
大型バスも停められる広い駐車場もあるので、旅のスタートには必ず立ち寄って欲しい。
足利市内には、とにかくお寺や神社が多く“その数は300近い!”
と教えてくれたのは足利市観光交流課の金坂幸治さん。
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中には、足利家に縁の深いお寺もあるんだとか。
「皆さん、足利家あってのこの地名だと思いがちですが、実は逆です!
当時の武将が、この足利の地名から足利家を名乗ったんですよ。」
えええええ!?!?!そうだったのー!?!?!?
この「アシカガ」という気高い響き、歴史深いのですね〜。
さて、今回の旅は、「織物で栄えた学び舎のまち」ということで、
足利を巡るうえでおさえなければいけないキーワードがある。
一つが、織物
そしてもう一つが、学び舎
金坂さんによると、織物文化の歴史は古く、
昭和の初期から戦前までは足利銘仙と呼ばれる着物でこの土地は盛り上がっていたとのこと。
また、日本最古の学校・足利学校は、勉強したいという高い意識を持った人が集まったのだとか。
すごいよ、足利…すごい!そこに残る歴史は、この土地が古くから多くの人に愛された証なんだ。ワクワク。
大量のパンフレットをもらい、
「いってらっしゃい!」と金坂さんに送り出して頂き、やっと旅のスタート!
大通りから一本入ると石畳になった小道。
木造の民家や神社と並んで、石造りのレストランやカフェ、アンティークショップなどが軒を連ねる。
大正ロマン漂う、そんな雰囲気。
まず向ったのは、『織物』について学べる織物伝承館
柔らかな光に照らされているのは、赤や紫や緑やオレンジなど色とりどりの着物。
飾られている絵や写真の中の白肌の女性も、鮮やかな着物を纏っている。
そして真ん中にある、大きな木造の織り機。
足利織物伝承館事務局長の木村寛さんにご案内いただきました。
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もともと養蚕が盛んだったこの土地は、
そこから出来た繭で絹を作り織物が盛んになったそうです。
なんと、その歴史は1300年
昭和初期には、絹を素材とした先染・平織物の銘仙が盛んになり、『足利銘仙』として、大流行したらしい。
実物を見せてもらうと、いやいや、その手法の細やかなこと!
何本にも並べた縦糸に、型紙を使って色を入れて、そこから横糸を入れ込んでいく……
足利銘仙の制作過程に、感心しきりの棚橋さん |
私が、いとも簡単に書いてしまっている作業ですが、これを何工程にも分けて、何人もの職人が技を出しあって作っていった足利銘仙。
足利の人々が、一丸となって築き上げ、守り抜いた文化だったんだ。
そう、だからこその、織物のまち・足利なんだー!!
「とにかく、見て、触れてほしい」と語る木村さん。
洋服が主流になってしまった今だからこそ、改めて和の心を思い出したいな。
足利銘仙を宣伝したポスターとカタログ |
そして、こちらでは、織物体験も出来るということで、チャレンジ!
私、裁縫も編み物も全く出来ないけど、果敢にチャレンジ!
ご指導くださったのは、指導員の島田敏子さん。
島田さんに織り方を教えてもらいました |
島田さんの扱う織り機からは、
カラン、トントン、カラン、トントン…と軽快なリズムが刻まれる。
お手柔らかに、よろしくお願い致します〜
と織り機の前に座ると、なんだか複雑な仕組みが見えて…ひー難しそう。
足下には、二つのペダルがあり、それを踏みながら横糸を通す。
その糸を整えるオサという部分を両手それぞれに持って、リズミカルに作業を進める。
いや…進めたい…けど、進まない(笑)
気分だけは「鶴の恩返し」なんだけど、
私のペースじゃ恩を返すどころか、迷惑をかけるね、コレ(笑)
ガサガサ、ドン…ドン、ガサ…と私が慣れるまでには時間が掛かりそうですが、木村さんからは70点を頂きましたー!やったー!
さらに、素敵な絵はがきも頂き、本当にありがとうございましたー!!
織物文化を自分の目で見て、実際に体験したところで、続いてやって来たのが足利織姫神社
足利には欠かせない織物、産業の神様と、縁結びの神様が祀られているという。
わーい!縁結びー!
と喜ぶ私の前に立ちはだかったのが、229段の石段!!
うぎゃー!そう簡単にはいかないかー、ちくしょー、えい!!
気合いを入れて上り始めたものの、これがなかなか辛い(汗)
どんどん標高が高くなっていくのが、身体に伝わる風の涼しさで分かる。
227…228…229!!!
着いたー!と汗だくな私の目の前には、真っ赤な社殿。華やかなその佇まいは、足利銘仙の着物にも負けないくらいの存在感。
そこで笑顔で出迎えてくれたのは、禰宜(ねぎ)の日下部朋広さん。
<禰宜:宮司を補佐する人>
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「冬場ですと、東京都心、そしてスカイツリーも見えますよ。」と教えてくれた。
振り返ると、ずーっとむこうまで続く関東平野が一望出来る。
ここに、明治12年、お宮が移され、昭和12年にはこの美しい社殿が完成している。
織物業が盛んになるように、そして、そこから人と人とが結ばれるように、
地元との人たちはお祈りして来たんだろうな。
…じゃぁ…私の縁も結んでください!!お願いします!
恋みくじを発見!
「それ、カップルで引かれる方、多いですよ。」と笑顔の日下部さん。
あのー…、私シングルですけど(笑)
そんな私の結果は…
…中吉。
「一番いいですよ!これから上がっていく可能性がありますから!」だってさ♪
やったーやったー。ラジオ的には面白くないけど、やったー!
気分よく、次に向ったのが史跡足利学校
入徳門、学校門をくぐると、綺麗に手入れされた庭が広がる。
敷地内には、図書館や日本最古の孔子廟、方丈と呼ばれる座敷、庫裡と呼ばれる台所などがあり、
背筋がピンと伸びるような厳しさが伝わってくるような気がした。
史跡足利学校事務局所長の前橋勲さんによると、
その歴史ははっきりと分からず、ただ、600年以上にはなるという。
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志のあるものは受け入れるが、怠け心のある者は即退学という、
まさに「自学自習」の精神を掲げていた。
今のゆとり教育とは正反対、私たちって学ぶ環境には恵まれているのかもしれないけど、
その学ぶ「精神」というところで言ったら、すごく乏しい時代を生きているのかも。
この足利学校では、孔子の残した論語を素読出来る体験プログラムもあるという。
ろんごを、そどく?
聞き慣れない、難しそうな言葉は受け付けない私ですが、なんでも初心者歓迎のプログラムなのだとか。
…私も自分の怠け心に打ち勝つため…いざ挑戦しますかー!
案内されたのは、庫裡の奥にある書院。
当時、学生の個人教授が行われていた普段は入ることの出来ないこの特別な空間で、素読体験は行われる。
教えてくださるのは、論語素読運営委員の岡田明男先生。
岡田先生に習って論語を素読 |
受け取ったプリントには、先生が抜粋した論語がズラリ、難しそうな漢字や言葉がいっぱい…。
これを先生の後について大きな声で読む。意味は分からなくとも、とにかく大きな声で読むとこが大切なんだそう。
どっしりと構えた先生の後に続いて、私たちが論語を読みます。
「子曰く、学びて時に之れを習う…」
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書院を抜ける爽やかな風に乗せて、一斉に声を出す瞬間に生まれる、なんとも言えない懐かしさ。
小学校の頃、私、国語の音読が大好きだったっけ。
「学ぶと言うことは、何回も復習をするということです。小鳥が飛べるようになるのは、
何回も何回も練習するからです。学ぶと言うのはそれと同じこと。」
淡々と喋る先生の言葉の中にも熱が入り、あっという間の20分の体験。
終わった後には足がしびれてグデグデだったけど、
頭の先からお腹の中までに一本の芯がストーンと通ったような、そんな感じ。
「楽しく論語を覚えて、それを生活の中で活かしていってほしい」と岡田先生。
こんな時代だからこそ、当たり前の生き方とか道徳とかが必要とされる。
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……威張らずおごらず、しっかり地に足をつけて学んでいかなきゃな。
改めて気づかされる「学ぶ」ということ、
それは、どんな時代でも「生きる」ということの楽しさや厳しさを教えてくれるものなのかも。
頂いた論語集、大切にします!
足利学校からの帰り道、出口付近にいたボランティアスタッフのおばちゃんが、
「来てくれてありがとー!一生勉強ねー!私は一生青春—!」と私に向かって叫んだ。
はい!頑張ります!!また来まーす!!!
体験プログラムが終わり、渡良瀬川に到着した頃には、綺麗な夕日。
川の向こうに見える、あの小さな橋が渡良瀬橋だー。
♪渡良瀬橋で見る夕日を、あなたはとても好きだったわ〜
まさに森高千里さんの名曲「渡良瀬橋」の世界がここにある。
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ゆっくり流れる渡良瀬川、その流れを止めることなく足利の大自然を守り抜いて来た川。
そして、その自然の中で育まれた歴史や文化が、今もこうして色濃く残り、現代を生きる私たちに何かを教え続けてくれる。
何本もの絹が絡み合う織物のように、これから私にもたくさんの出会いがありますように。
飛べない小鳥が大空を飛べたように、いつか私ももっと大きく飛躍出来ますように。
次、またこうやって渡良瀬橋の前に来たときには、もっと成長した自分でいられるように……
新たな課題を胸に、東京へ乗り込む電車の中、
またもや意地悪なスタッフに寝顔を激写され、私の旅は大爆笑で幕を閉じたのでありました。
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