東京探訪 山手線一周ぶらり旅 有楽町~新橋編|旅人:井門宗之
2012-07-19
ついにこの日がやってきた。
足かけ3年に渡りお送りしてきた企画「山手線一周ぶらり」の、
ついに最後のロケとなる日がきたのである。
横山「おはよう~♪」
この企画の中心Dといっても過言ではない横山氏は、
最初のロケから最後のこの日までずーっと笑顔だった。
テツヤ「今日はよろしくお願いします!」
カメラマンは慶吾の所にいる若手:テツヤ。
いつの間にか慶吾も若手にバトンタッチ出来るようになった。
ミラクル「僕が最後で良いのかな?」
作家はミラクル吉武。
YAJIKITAの事を誰よりも理解するベテラン作家である。
井門「皆さん、今日も宜しくお願いします!」
旅人は井門P。3年の間にPになり、Bも出来た(赤ちゃんのBね)。
YのTもKがSだから、何だかKGBKY。Yo。
(「山手線の旅もこれが最後だから、何だか感慨深い。」の意。)
それはさておき(あぁ、やっぱりさておいちゃうんだ…。)
最後の山手線ぶらり旅は有楽町ビックカメラ前からスタート。
|
この界隈、東は有楽町マリオン、イトシア、銀座。
西はビックカメラ、ニッポン放送、帝国劇場、日比谷、皇居と、
半径1キロに渡って本当に様々な表情を持っている。
今日のぶらりは、一つのエリアで様々な顔を持つこの街を、
一つの番組で様々な顔を持つYAJIKITAが巡るのであります!
|
ミラクル「ここ知ってる?」
井門「東京交通会館、知ってる!上が回るレストランになってるとこね!」
ミラクル「あ、あぁ…し…知ってるんだ?(苦虫を噛み潰した表情)」
井門「でさ、1階に僕の地元のアンテナショッ…ふが…もごもごもご…」
ミラクル「ネタバレはその辺にしてもらおうか!」
という訳で(何事も無かったように進むよ)、
東京交通会館なのであります。
名前の由来はかつてここに東京都交通局があったから。
開業当初は味の名店街要素とオシャレショッピング要素が合わさった、
まさにこのエリアの中核を担うセンターだった。
しかし現在は違う表情で我々を楽しませてくれる。
それが、「日本各地のアンテナショップ」の存在。
先程ミラクルに止められたが、
私の地元・北海道のアンテナショップや、
YAJIKITAのネット局県のアンテナショップなど、
かなりの規模で訪れる人を楽しませてくれるのだ。
我々もこの会館を駆け足で“ぶらり”してみた(笑)
|
|
|
|
|
|
ミラクル「(もしゃもしゃもしゃ)いやぁ、面白かったね。」
井門「って、しっかり北海道どさんこプラザのメロンソフト食ってるし!」
|
横山「何が面白いって、それぞれのショップの方って県の地元の方じゃない?
皆さん個性が違っていて、県民性が出てるんだよね(笑)」
テツヤ「僕も地元に帰りたくなりました。」
ミラクル「おう、帰れ帰れ!」
今日も仲良くYAJIKITA ON THE ROAD!!
一行は東京交通会館を出て、一度有楽町の駅前に。
ここもイトシアが出来たりルミネが出来たり、再開発めざましい地区である。
ミラクル「この辺りって再開発エリアじゃない?」
井門「そうですねぇ。昔は本当に汚かったもんね(笑)
あの雰囲気がでも僕は大好きだったんだけど…。
狭い小さな映画館とかあってね、彼女とデートしたりしたんだ。」
ミラクル「分かるなぁ。昔からあるのって、角の果物屋さんと中華屋さんくらいだもんね。」
井門「で、その再開発が何か?」
ミラクル「再開発にあたって2005年に発掘調査を行ったんだけど、
出てきちゃったんだよねぇ…。あれが。」
井門「あれって、一体何ですか?」
ミラクル「神田~東京のぶらり、最後に見たでしょう?
江戸北町奉行所跡を。」
井門「あっ、まさか!?」
ミラクル「そうです、お察しの通り、
有楽町駅前がかつての南町奉行所跡だったんです!」
何でも発掘調査により、当時の井戸や土蔵なども発見。
更には「大岡越前守御屋敷」と墨書きされた荷札も出て来たとか…。
現在は出て来た石材を駅前のベンチ代りにしていて、
「南町奉行所跡」のプレートが無ければ、
恐らく誰もここがそうだとは思わないのではないだろうか?
でもね、そこで石の上に座っているおじさんや。
ここはあの有名な大岡裁きが行われた場所なのでありまするぞ!
ほら、煙草のポイ捨てとかしたら、厳罰が言い渡されますぞ!
|
ちなみに上の画像でありますが、
この場所を離れて次へ向かおうとした時にミラクル氏がうっかり写真を撮り忘れ、
慌てて引き返して一人でポツンと撮った画像であります。
そう思ってこの写真を見ると、ちょっと寂しい雰囲気…出てませんか?(笑)
横山「あぁ、サマージャンボが始まってるんだね!」
ミラクル「ここは有名な西銀座チャンスセンターですからね!」
|
皆さんもTV等でご覧になった事があるかもしれません。
日本で一番並ぶ売り場として有名なのが、ここ「西銀座チャンスセンター」。
特に1番窓口の行列は有名で、発売初日は数時間待ちなんて事も…。
それもその筈、日本で1番1等の出る確率が高い売り場だからである。
井門「せっかくだから、買っいきますか!?」
横山「その代わりさ、当たったらちゃんと言おうね!」
ミラクル「えっ!?う、ううん…そうね、そう…ゴニョゴニョゴニョ…。」
この人、当たっても言わない気だ―――――!!!!!!
一応、山手線最終回の縁起担ぎ…という事でも無いんだけど、
実は僕、新橋から浜松町までぶらりする時も宝くじ買ってみたんだよね。
その時は当たらなかったけど、山手線一周のパワーが蓄積されて、
今度は本当に当たるんじゃないか…そんな気がしております(笑)
まるで修学旅行生の様にキャッキャしながら進むYAJIKITA一行。
山手線の高架をくぐり、今度は日比谷方面をぶらり。
この辺りは有楽町や銀座と、また一味違う独特の風情を醸し出しております。
何て言うか、ちょっとだけ雑多な感じが、懐かしい昭和の香りを残しているんだよなぁ。
そんな雑多な印象の日比谷側ガード下、道路を挟んだ場所にその店はある。
この前を通る度に気になっていた、凄い存在感のお店。
その名も「café BENISICA 紅鹿舎」!
入口には大きなサンプルケース、深い色合いも良い木製の扉。
だって気になりますよ!店外のメニューに「元祖ピザトーストの店」って書いてあるんだもの!
|
ミラクル「じゃ、お店の人と話してくるから、店の奥に行っててよ。」
井門「ほいほいー、了解。」
お店の中は思ったよりも奥行きがあって、かなり広い。
しかも良い雰囲気じゃないですか、薄暗い店内にカウンターのサイフォン。
お店のマスターかな?カウンターの中で働いてらっしゃる。
ちょうど空いている時間帯なのでお客さんの数も少なく、迷惑をかけなくて済みそうですね。
あっ、あそこですか?ソファー席は。
店の奥、“突き当たり”って感じでインタビューするには最高の場所…おっと、
どうやら先客がいらっしゃるようですね。何だか派手なシャツを着た男性。
この時間にこんな柄のシャツを着てるって事は…そうですね、自由業かな?羨ましい。
ちょいとごめんなさいね、この隣の席を使わせてもらいますよ……って……、
井門「え―――――――っ!!!!?」
謎の男「あ、井門の分のピザトースト食べといたから。」
井門「あ…あんさん、メルシーさんやないか!?」
|
軍師:メルシー久保。
今年の3月いっぱいでYAJIKITAを卒業した構成作家。
YAJIKITAは立ち上げ時からのメンバーであり、
何を隠そう山手線ぶらり企画の生みの親でもある。
メルシー「ってかさ、井門が前回の旅日記で書いちゃってるじゃない。
果たしてメルシーさんはSL広場にいるのか?みたいな事を。
井門の言う通りの筋書きで登場したく無かったんだよねぇ(笑)」
井門「って言うかこの登場の仕方、ウ○くる?みたいなんですけど…。」
聞けば僕以外のスタッフはメルシー登場を事前に知っていたという。
山手線ぶらりの最終回、何か仕込んでやろうと思ったそうな。
良いなぁ、こういう遊びをちゃんとやれる大人達。
メルシーさんなんか、ここに来る為に仕事を休んだんだから(笑)
これぞYAJI魂!!完全にYAJI気を見せちゃってる。
でも何だかホッとした。有難う、いやメルシー、久保さん。
かくして人数が1人増えたYAJIKITA。
すいませんね、何だか大勢になっちゃって。
村上「いえいえ、そんな事はないですよ(笑)
宜しくお願いします。」
お話しを伺ったのは紅鹿舎の代表:村上節子さん。
元々こちらのお店は村上さんの御主人が昭和32年に開業したのだが、
今は奥様である村上さんがお店を切り盛りしている。
井門「ピザトーストが元祖ってのが凄く気になるんですが…。」
村上「昔はピザ生地でピザを焼いて食べさせる店が少なくて、
何か簡単なピザが作れないかしら…と考えて、私がアイデアを出したんです。」
とは言えこのピザトーストも完成までに相当な試行錯誤があったそうで、
生地のモチモチ感や具材のマッチング等かなり考えて作られている。
あっと言う間にお店の看板メニューになり、全国に広がったのも頷ける。
井門「では早速、お店の看板メニューと…
そうですね、何か面白い珈琲があるとの事で、そちらをお願いします!」
村上「かしこまりました。」
|
出て来たのは厚切りトーストの上にチーズがとろりと溶けた、
これぞ「ザ・ピザトースト」!!
1枚のトーストを3分割しているのだが、
その1つを手に取るとチーズがとろ~~~~り。
一口頬張ると、さくっもしゃもしゃもしゃ、もちもちもち…。
井門「旨い!!パンのチーモチーモ感が最高!!」
村上「(笑)」
そしてもう一つの名物、こちらはカクテルグラスでやって来た。
村上「グラスの中にブルーキュラソーとカラースプレー、
上に生クリームが乗っています。そこに珈琲を端から注いでいくと…。」
|
なんと、グラスの縁を螺旋を描く様に珈琲が注がれる事によって、
真ん中の生クリームがグラスの中心でくるくると回るではないか。
それはまるで宝塚女優が舞台の上で華麗に舞う姿のよう。
味も上品な「カフェ・タカラヅカ」。
何ともお洒落な飲み物でした。
宝塚を観に来るお客さんは、特別な想いで日比谷にやって来る。
もちろんいつも以上にお洒落をしてくるのだろう。
そんなお客さんも飲むであろう、「カフェ・タカラヅカ」。
ブルーキュラソーの甘い香り、真ん中で踊る生クリーム、
その白い小島が徐々にゆるりと淡く溶けて行く姿。
ちょっと背伸びをした場所にある、
ちょっと背伸びをした味。
“この辺りも随分と変わりましたけどねぇ…”
そう話す村上さんだが、
変わらないものがここにある。
それはどんな年代の人が口にしても、
「あっ、大人の味」と思わせてくれる紅鹿舎の味だ。
村上さん、いつまでもお元気で、ここで味を守り続けて下さいね。
|
井門「さぁ、ここからはメルシーさんも含めて新橋を目指しますよぅ!」
ミラクル「後はもうぶらりしていくだけだからね。」
メルシー「あっ、日比谷シャンテだ。」
|
メルシー「日比谷シャンテってさ、ちょうど出来たのがバブルの頃でね。」
井門「ふんふん。」
メルシー「スキーブームがあったから、シャンテって名前にしたんだよ。」
ミラクル「(ちょっと慌てた顔で)そそそそ…そうだよね!
知ってた知ってた!」
井門「いま知ったんだよね?」
ミラクル「へへへ。そんな事はないでゲスよ。
シャンテ(ちゃんと)調べてありますよ。へへへ。」
こういう無駄話も「山手線ぶらり」の魅力の一つだったっけ。
本当はもっともっと下らない話をしてるんだけど、割愛します(笑)
日比谷シャンテを越えて、現れたのは東京宝塚劇場。
ちょうど公演が終わったところだったのだろう、
道の両側にはファンとおぼしき女性が列を作って並んでいる…。
|
井門「あれっ!?10人位にまとまっていて、
同じスカーフとかショールを付けているじゃないですか!!」
ミラクル「話には聞いた事があったけど、
生で宝塚の出待ちを見るのは初めてだなぁ…」
整然と並ぶ女性達を横目に、好奇心でいっぱいのワクワク土気色親父達。
その様は言うなれば…宝塚土組!
すると出口から一人の女性が颯爽と姿を現した!
と、その瞬間!!
何と列を作っていた女性の前列が一斉に“ザッ”としゃがみ、
後ろの列の視界を広げたのである。
何という統率力、そして素早さ、軽やかさ。
それに応えるかの様に、宝塚の女優さんも魅せる。
目深に帽子を被り、スラッと伸びた足と姿勢の良い上半身が全くブレる事なく、
自らのファンの元へと“サッサッサッサッ”という感じで進んでいくのだ。
ファンの元に着くと、くるっと身体を90度回転させ、
今にも“どうしたんだオスカル!”とでも言い出しそうな気配(そんな事はしません)。
ミラクル「ねぇ、井門さ。」
メルシー「俺達ここにしゃがんでるからさ。」
横山「女優さんと同じ道を、こっちに颯爽と歩いてきてよ。」
テツヤ「俺達の前でクルッと身体を回転させてくださいよ!」
打ち合わせもしていないのに、この人達の考える事は同じなのだ…。
何でもかんでもネタにしようと貪欲なのだ…。
どこにいたってひと山作りたがる。
その為には自分のデジカメを壊すことも厭わない。(広島の回参照)
気持は分かるけど、ここは先を急ぐよ。
えっ、横山さんはこの辺が劇場街だった頃から通ってる?
さすが今年“業界歴愛されて30周年”ですね(笑)
そうそう、この辺りは映画街でも劇場街でもあったんですね。
日本の映画産業を支えた業界大手も本社が有楽町に集中していたぐらい。
劇場だって帝国劇場や日本劇場などの開場が昭和30年代には相次いだと言います。
きっとここで演劇を見て、銀座で食事をして、
少し洒落たBARで飲んだりするのが最先端のお洒落だったんだろうなぁ。
それぞれの分野で、それぞれの大人の遊びを知っている先輩達がいて、
その先輩達のもとを訪れる事で人は徐々に大人になっていった。
この辺りは東京でもそういうエリアだったのだ。
日比谷公園の緑は、今日も目に優しい。
しかし目の前は沢山の車が血液を循環させるように走っている。
見上げれば首都高の高架、その下を歩いていれば右も左もネオン眩しい飲食店。
………ふと、喋るのを止めてみる………
絶え間ない、街の雑踏。
エンジン音、人の声、電車の音。
その中には誰かの喜怒哀楽。
この街はコンマ1秒だって、“無”になる事はない。
ずっと、何かの音がしている。
それが、東京。
ずっと、変化の循環が止まらない。
それも、東京。
井門「あぁ、常に何かの音がしてるなぁ。
これが東京なんだよなぁ。」
|
首都高の高架をくぐり、見えてきた「JR新橋駅」の文字。
僕らの3年に渡る“東京を好きになる旅”が幕を閉じようとしている。
時刻は薄暮の時間帯。
家路を急ぐ人、夜の街へと向かう人、
新橋は“これからの人”で溢れていた。
ひょっとすると、東京という街は“これから”という思念の集合体なのかもしれない。
だから新しい物を難なく受け入れてくれるのかも。
旅の最後になって、ふとそんな事を考えていると…。
ミラクル「SL広場前、古本まつりやってるね(笑)」
横山「折角帰ってきたのに、肝心のSLが見えないじゃない?(笑)」
メルシー「でもYAJIKITAっぽくて、何か良いね(笑)」
テツヤ「何か掘り出し物、無いっすか?」
井門「でも、間違いなくゴールなんだなぁ…(涙)」
|
2012年7月某日、薄暮の新橋SL広場。
こうして我々は「山手線一周ぶらり旅」を無事に完結させる事が出来た。
天候は曇り、結局最後は雨に降られない“ぶらり”だった。
メンバーには言いようもない、不思議な達成感が残る。
僕は最初の旅日記にこんな事を書いていた。
《「東京に住む我々が東京を再発見する行為」
を通じて、地方に暮らすみなさんが、
もう一度地元の良さを見つめ直す機会になればとも思ったわけでございます。》
僕らは山手線の一駅、一駅を結局3年もかけて歩いてきた(笑)
ゆっくり、のんびとしたこの歩みは、
東京の速度とは一見かけ離れている様に思える。
ところが実際に回ってみると、この速度でも東京は大丈夫なのだ。
いやむしろ、この速度で良かったのだ。
きっとそれはそこで暮らしている人の顔がよく見えたから。
そしてそれまで見た事が無かった街の表情が分かったから。
「東京」。
声に出して言ってしまうと、
それは殊の外「大都会」を想起させやしないか。
勿論「東京」の中には、ビルがあり、ネオンがあり、流行の最先端がある。
しかし同じ様に、下町があり、人情があり、歴史があり、何より人の生活があるのだ…。
山手線の駅をゆっくり歩いて回る事で、
自分の頭の中にあったこの町の姿に、ようやく血が通った気がした。
何よりもこの旅を通して、僕は東京が大好きになった。
ゆっくり時間をかけてその姿を見せてくれた東京。
この街は最後にしっかりその包容力を見せてくれたのだ。
結局僕は最終的にこの街に包まれた。
ただひょっとしてそれは、この街に暮らす誰もがそうなんだろう。
名前を口に出せば、イメージは浮かぶ。
でもそれはあくまでも個人的なイメージの枠を越えない。
見に行かなきゃ。
自分の暮らす街を、大好きなあの子が住む街を。
会いに行かなきゃ。
旨そうなコロッケを揚げる肉屋のおばちゃんに、路地裏で遊ぶ子供達に。
そうして僕らも東京の風景の一つになろう。
一番最初のぶらりで見た、世界貿易センターからの眺め。
あの美しい、東京の風景の一つに。
|
「東京探訪山手線一周ぶらり旅シリーズ」完