東京発どこいくツアー 神楽坂編|旅人:井門宗之
2012-08-30
2回目にして大人気企画となった(誰が言った?)、
【東京発どこ行くツアー】。
前回は最高学府:東京大学がある街「本郷エリア」だったが、
今回はずばり「神楽坂」だ。(展開が急とかいうの禁止)
神楽坂…皆さんはこの町にどんな印象を持たれているだろうか?
何だか華やかな町、お洒落な町、そういえば雑誌で特集される事も多い町…等々。
ドラマの舞台になる事もあるので、何となく雰囲気はご存知の方も多いのではないだろうか?
そんな“何となくお洒落な事だけは知っている町「神楽坂」”を、
今回の「どこ行く」にしてしまったのであります!
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東京メトロの丸ノ内線と東西線を乗り継いで、やってきたきた神楽坂。
この辺は色んな路線の交差する場所でありまして、
東京の中心地に出るのに非常に都合のいい場所。
東京以外の土地に住まわれている方は分かりにくいと思うのですが、
JR飯田橋駅もすぐ近くなので、
地下鉄(都営もメトロも)もJRも利用出来る都内屈指の便利スポットなのです。
コバヤシ「昔ぼくもこの辺に住んでたんだよね。毘沙門天の裏側。」
井門「ひゅー、シャレオツ!」
サリー「シャレオツ!」
テツヤ「シャレオ…ゴンッ!!!!(親分にアレされた音)」
今日も愉快なチームYAJIKITA、
土地勘のある親分を頼りつつ、ある方との待ち合わせ場所に。
歩きながら町の様子を観察してみると、
意外とマンションも多く建っているようだ。
神楽坂駅から神楽坂を目指して歩いたのだけど、何棟か建設中のマンションもある。
ほんの10年前までは本当に何も無かったんですけどね…と苦笑い混じりで話してくれたのが、
今回の神楽坂路地裏ぶらりの助っ人!!
NPO粋なまちづくり倶楽部:坂本あけみさん。
神楽坂の風情を愛する美人さんだ。
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我々が待ち合わせに選んだ場所も、既に神楽坂の歴史に触れられる所。
その名も「寺内公園」というのだが、寺内って言うからにはそれなりに理由がある。
坂本「行元寺という大きなお寺があったんです。
それが江戸後期に寺の境内を町屋として貸すようになって、
家が増えるにつれて路地も増えてきた…と。またここに遊興の場もあったので、
神楽坂花柳界の発祥はこの場所から、とも言われているんですよ。」
井門「あぁ、神楽坂っていうと花街のイメージがありますもんね。
夕暮れ時になると芸者さんがしずしずと町を歩いているような…。」
坂本「今日は路地を歩きながら神楽坂を回っていきましょうね。」
一同「よろしく、おたの申しますでありんす。(色々間違い)」
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坂本さんの先導で狭い路地を進んでいくYAJIKITA一行。
足元がでこぼこしていて、この雰囲気も味がある。
神楽坂の路地の特徴はまさにここ、石畳なのだ。
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坂本「ここは兵庫横町と言います。
なぜにここが兵庫横町なのか分かりますか?」
井門「兵庫からの人達がたくさん暮らしたからだ!」
坂本「そう思いますよね、でも違うんです。
この道は神楽坂の中でも最も古い道で、鎌倉時代からの歴史を持っています。
しかも当時は要衝として重要視され、兵器の庫(くら)があったんですよ。」
井門「あぁ、だから兵庫なんですね。」
坂本「今ではその名残よりも、文豪が愛した旅館“和可菜”の方が有名ですけどね。」
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続いて路地を進めば黒塀の料亭などが並ぶかくれんぼ横町。
路地の両端は僕が両手を伸ばせば届きそうな幅。
でもこの両手を伸ばせば届くか届かないかの幅、ってのが路地の定義でもあるらしい。
思わずかくれんぼしたくなる路地。
夕暮れ時にはお忍びデートも似合うんだろうなぁ。
浴衣を着てさ、女性は男性の少し後ろを着いていくの。
この“少し後ろ”ってのが良いんだよ。
“今夜の行き先は全てあなた様にお任せ致します”っていう、頼られてる感じ?
ちょっと誰か浴衣着て一緒に歩いてくれないかしら…ゴンッ!!!(奥さんにアレされた感じ)
…うん、良いよね、妄想妄想!ははは…。
両手を広げたたぐらいの幅です |
横町から横町へ、裏路地から表通りへ。
まるで迷路のように神楽坂の裏を散策していると、
住宅だと思った家の表札に「BAR」と書いてあったり、
粋な格子戸の向こうがフレンチのビストロだったり、
よく目を凝らさないと見逃してしまいそうな“遊び”が隠れている。
きっとある程度ここを訪れる人を試しているのかもしれないな…そんな事を考える。
勿論それはお高く止まって、ではなく“単なる遊び心”からなのだが。
裏路地を歩きながら「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉が何となくよぎっていった。
坂本「この坂が芸者新道です。」
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ここは東端の傾斜が急になっているのだが、
この斜度がかつての神楽坂通りとほぼ同じ傾斜になっているという。
この坂をゆっくりと歩きながら、歴史に思いを馳せる。
現在の神楽坂には芸妓さんも少なくなってしまったが、
最盛期には芸妓・幇間合わせておよそ600名もいた時代もあったとか。
坂本「そんな芸妓さん達が、この道を通って料亭へ向かったそうです。
今でもごくたまに芸妓さんの姿を目にする事はありますよ。」
井門「静かに文化は継承されているんだな…。」
路地を流れる時代の流れは、表通りほど急ではない様で。
子供たちの遊ぶ声もどこからともなく聞こえてくる。
賑やかな花街の表情も残しながら、生活の匂いもする町・神楽坂。
井門「神楽坂の楽しみ方ってなんですかね?」
坂本「そうですね、神楽坂に来たら路地を歩いて欲しいですね。
そしてその路地にある小さなお店を注意深く探して欲しいです。
よく見ないと分からない様な看板が出ていたりして、それを見つけるのも楽しいですよ!」
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サリー「いやぁ、坂本さんのお話が分かり易くて面白かったっす。」
井門「うん、神楽坂の個性がよく分かったよね。」
親分「神楽坂もアレしちゃうよ!」
テツヤ「うへぇ!親分、神楽坂までアレしちゃ…ゴンッ!!!!(親分にアレされた)」
江戸時代、いや鎌倉時代からの“和の歴史”を感じた後は、
神楽坂の美味しい店に注目なのであります!
この町はグルメ雑誌に度々特集が組まれるほど、美味しい店の宝庫なのでありますが、
YAJIKITAが今回のロケでテーマにしたのは「神楽坂で感じる海外」。
しかも最初に向かうのが神楽坂でもココだけ!というアフリカ料理の店。
その名もトライブスさんであります。
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神楽坂の象徴でもある毘沙門天の裏にあるこちらのお店。
アフリカの様々な地域のミックス料理を提供してくれる、貴重なお店。
一歩店内に足を踏み入れると、そこには民芸品があったり、竹が通してあったり、
野生動物の写真が飾ってあったり…何でもありなんだけど妙に統一感がある。
我々は代表の石川邦彦さんにお話しを伺いました。
井門「アフリカと言うとワインのイメージも強いですが、こちらにも?」
石川「うちはワインにはうるさいですよ(笑)
あ、今年ももうやっちゃったんですが…ボジョレー解禁。」
一同「えっ!?」
石川「いやぁ、南アフリカなんかもそうですが、南半球なんで季節が半年早いんです。
いわゆる新酒のパーティーを、南アフリカ共和国大使館公認で6月にやりました(笑)」
笑顔でその公認のボードを見せてくれた石川さん。
確かに北半球と南半球では季節が半年ズレる事になるが…その大らかな感じも良いではないか。
井門「アフリカで一般的に食べられている主食は何ですか?」
石川「ヤム芋ですかね。市場でヤム芋を売っている写真がこちらです。」
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そう言って徐に出してくれた市場の写真。
物凄い長さのヤム芋を所狭しと並べて売る姿は、圧巻だ。
トライブスではこのヤム芋を、これまたアフリカ原産の野菜と一緒に戴く事が出来る。
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石川「ソースに使っているオクラは、アフリカ原産の野菜なんです。
だから漢字があてられないんですよね。」
井門「あっ、確かにそうだ!アフリカが原産だったんですね。
しかしこのヤム芋をマッシュにした様な…その上にトマトベースのソースが合いますね!」
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僕は一度もアフリカに言ったことは無い。
でもこの店にいると想像はどんどん広がる。
この店がアフリカの原野に佇んでいる様な錯覚さえ覚えてしまう。
石川「この店自体、アフリカのココ!って言えないデザインですからね(笑)
外観だってそうだし、内装も。こんなアフリカ料理の店はウチだけです!」
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そう楽しそうに話す石川さんの表情はとても優しい。
こんな人がやってるお店が悪いお店なわけありません(笑)
神楽坂でアフリカを感じたいアナタ!トライブスで異国情緒を感じてみませんか?
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サリー「ここはプライベートでも来たいですね!」
コバヤシ「アフリカの次はインドだよ。それもちょっと変わった、ね。」
井門「インドと言えば勿論カレーでしょうけど…。
ちょっと変わったって事は何かありますね?」
テツヤ「親分がインドまでアレしちゃ…ゴンッ!!!!(アレされた)」
神楽坂下に近い場所、路地を入った場所にあるそれが…
小体な造りのお店だが入口には美味しそうなカリーの写真。
うちのハラペコーズ達(サリー&テツヤ)が眼の色を変え始めている(笑)
でも見た目は美味しそうなインドカリーの専門店なんだけど…なにが変わっているんだろう?
井門「(扉を開けて)こんにちは!お邪魔します~!」
女将「OH!コンニチワ~♪」
うん?なんだろう、このちょっと日本語と違うイントネーションは。
中に入ってみるとカウンターで僕らを待ち受けていたのは…
女将「ドウモ、ハジメマシテ。ワタシハ喜友名カトリーヌ デス!」
井門「なんと、フランスの方ですか!?」
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大らかに笑う女将はカトリーヌさんと言って、
ご主人と共にこのお店を切り盛りするフランス人の女性であります。
驚きで一瞬唖然となるんだけど、
このお店が本格的なインドカレーのお店だと言う事は壁一面のスパイス瓶を見れば一目瞭然。
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井門「なんでカレーのお店を開いたんですか?」
カトリーヌ「主人がね、カレーオタクなのよ(笑)
私達は12年前に結婚して、お店は7年前に開きました。
それ以来ずっと神楽坂でカレー屋さんをしています。」
井門「ご主人との馴れ初めは?」
カトリーヌ「お互いの一目ぼれかしらね♪あはははは(笑)」
カトリーヌさんは本当によく笑う。
その笑顔がとても気持ちよくて、何だかお腹もすいてくるのだ。
こちらのお勧めはキサクカリー。
その値段なんと500円。
量もたっぷしで、神楽坂で本格的なカリーが500円なのだ。
これは半蔵門のカレー番長としても驚かざるをえない。
他にスパイシーなキサクマサラは、1,000円
カリーソースを2種類合いがけ出来るダブルカリーは、 Aは950円、Bは1,000円になります。
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せっかくなので僕らもそのダブルを戴いてみる事に。
カリーソースが厨房で良い香りを店内全体に漂わせている。
そのスパイスの鮮烈な香りでこの店のカリーが間違いなく旨い事を教えてくれる。
カトリーヌ「お待ちどうさま~!」
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間違いなかった。
ひと匙すくって食べただけで、もう次のひと匙を欲しくなっている。
カレーとして僕が大好きな“後からくる辛さ”ってヤツなのだ。
キサクカリーの方はフルーティーな旨味がにじみ出ていて、
マサラの方はじわりと辛さが溢れ出す。
この2種類が同じお皿の中で輝きを放ってるんだもん。それも800円で。
普段辛い物が苦手のサリーも“このカレーならばくばくいけます!”と鼻息が荒い。
井門「こちらにはフランス人の方もいらっしゃいますか?」
カトリーヌ「もちろん来ますよ!すぐ近くに学校もあるからね。」
井門「神楽坂に店を出していて、この町のどんなところが好きですか?」
カトリーヌ「神楽坂はちょっと裏に行けば料亭が並んでいたり、
毘沙門天があったり…小京都みたいな所が大好き♪」
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女将の人柄とカレーに大満足した我々。
お店も繁盛している様で、営業時間前から常連さん達が店内の様子を確認しに来てました。
こんなカレー屋さんも、都内にはあるんだなぁ…。
フランス料理って基本的に辛いものはああまりないのに。
それでもカトリーヌさんがカリー屋さんをやっているのは、
ちゃんとご主人との甘い時間が辛さを緩和しているからなんでしょうね~。
コバヤシ「ほら、上手いこと言ったみたいになってないで。
次はさっきカトリーヌさんも言ってた学校に行くよ!」
井門「“神楽坂にフランス人の方が多い”という謎を解明する学校ですね!」
9月1日からその名称を「東京日仏学院」から、
「アンスティチュ・フランセ東京」に名称変更したこちら。
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語学学校やレストランも併設するフランス政府公式機関である。
僕らはこちらの津田桜さんにお話しを伺いました。
こちらの名称が変更になったのは、世界規模での組織改編なのだという。
お忙しい時期にも関わらず津田さんはとても親切に館内を案内してくださった。
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僕らがお話を伺ったのは教室だったのだが、
入ると壁に何かお洒落なアートが描かれている…。
津田「これは“教室の中のアート”と言って国際的に活躍するフランスのアーティストが、
学校の教室にそれぞれのアートを描いているんです。」
井門「ただでさえ教室はモダンな雰囲気なのに…」
津田「教室内の色彩も実はトリコロールカラーになっているんですよ(笑)」
津田さん曰く、ここはただ語学を学ぶ場所では無いのだという。
津田「語学も文化ですよね?食事も文化です、勿論アートだって。
アンスティチュ・フランセ東京はフランス文化を伝える発信の場所なんですね。」
井門「大学でその言葉に出会えていたら、もっとフランス語が楽しく学べたなぁ…。」
自分の怠け癖を棚に上げてよくもまぁ、そんな事が言えたもんだ。
津田さんは食事も文化と仰ったが、こちらには本格的なフレンチを戴ける場所もある。
津田「ラ・ブラスリーはフランス人のシェフが食文化を伝える為に、
美味しいフランス料理を作ってくれます。
しかも本格的なのに、割りとリーズナブルなんですよ。」
井門「僕も昔、ラ・ブラスリーでライブを観た事があるんですが、
雰囲気もよくて最高なんですよね。」
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津田「ちょっと道路を一本入るので迷う方も中にはいらっしゃいますが、
それでもだからこその雰囲気はあると思います。」
井門「ちょっとだけ坂を上ってくる…
それが気持ちを切り替える舞台装置にもなってる気がするんですよね。
あとここは日本の中のフランス、ではなくて、
フランスの中の日本って感じも凄くするんですよ。」
津田「それは融合が上手くいってるという事ですね(笑)とても嬉しいです。」
そもそもここにこういった機関が出来たのも、
戦前、この辺りにフランス大使館があったという事が起因しているという。
そして「アンスティチュ・フランセ東京」があるからこそ、
フランス人も神楽坂で安心して生活出来ているのだ。
津田さん、これからますますお忙しくなるでしょうけど、頑張ってください。
津田さん、ありがとうございました |
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東京どこ行くツアー神楽坂編。
この町を歩いてみての感想は「神楽坂は不思議な街だ」に尽きるだろう。
路地に入れば江戸からの流れは脈々と受け継がれていて、
でもそこに突然アフリカが現れたり、フランスが現れたりする。
近くには大学もあり、学生の笑い声も街には響いている。
普通はこれだけの個性が集まればどうしても雑多な感じになってしまうのだが、
この神楽坂という街においてはそれぞれが絶妙のバランスで調和しているのだ。
それこそ、神楽坂の器なのかもしれない。
だからこの町には何度も足を運びたくなってしまうのだろう。
大人の遊び心を小脇に抱え、
神楽坂を路地から路地へ。
さぁ、今日はどの国の情緒を楽しもうか。
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