弘前で、モダニズム建築の歴史を訪ね歩く|旅人:井門宗之

2012-09-20

 

今からおよそ80年前。
周りは武家屋敷、広がるのは田園風景の中、
見事な白亜の立方体の建物が青森県は弘前市に作られました。
その当時、世界でも類を見ない鉄筋コンクリート製のこの建物は、 


日本モダニズム建築の祖とも言われ、現在も青森県弘前市に残っています。 


当時でも珍しいその建物を作った建築家の名は…前川國男
あの世界三大建築家の一人と称えられる、 


ル・コルビュジエの弟子の一人であり、
*日本人で彼の弟子はたった3人しかいません。 


日本の近代建築、日本モダニズム建築の礎を築いた巨匠なのであります。
今回のYAJIKITAは彼が弘前に遺したモダニズム建築を訪ねながら、
彼のメッセージを探っていく旅。
題して「弘前でモダニズム建築の歴史を訪ね歩く!」。
もちろん建築物を観るのに、我々だけでは心許ありません(笑)
今回は大変強力な助っ人として、 


青森を中心に建築・設計を手掛ける建築家:森内忠良さんをお迎えしました!

 

 

 


森内さん、宜しくお願いします

 

 

我々が最初に訪れた白亜の建物は【木村産業研究所】(現:弘前こぎん研究所)であります。
この建物こそ前川國男の処女作であり、
ここから日本の近代建築は始まったと言っても過言では無いのです。
一見すると白い2階建ての四角い建物…なのだが、
ここには様々なモダニズムの様式美が詰まっているのだ。

 

 

 


木村産業研究所(現:弘前こぎん研究所)

 

 

 

森内「モダニズム建築にはいくつかの要素があるのですが、
その特徴の一つに窓の形があります。どうですか?窓枠が縦長ではなく…」

 

井門「あっ、横長ですね!」

 

森内「そうなんです。縦が入ってしまうと、横のラインが消える。
機能性も勿論ですが、美しさもしっかりと全体から感じられる作りになっていますよね。」

 

 

 

 

 

確かにそうなのだ。
ただの白い立方体の建物という印象を受けないのは、
こういう一つ一つの“細かな美”があるからなのだ。

 

 

森内「昔はバルコニーがあったんですけど、
雪や凍害により2~3年で壊れてしまいました。
前川さんはそこからまた雪国に建物を作る上で大切な事を学んでいったのです。」

 

 

入口の天井は見上げると朱色になっていて、
またそれが何とも言えずに洒落ているのだ。
この差し色の朱は前川が好きな色の一つだったという。

 

 

森内「前川さんは27歳でこの建物を作りました。
これが彼にとっては処女作です。
だからこそ、当時彼が学んだ事の全てがここに集約されているんでしょうね。」

 

 

 



 

 

現在は弘前こぎん研究所となっているが、
中に入ると前川國男のプチ博物館としての機能も果たしている。
入口正面には2階へと上がる階段のスロープ。
当時の日本建築では珍しい段差の緩やかな階段だ。

 

 

森内「当時はどこも梯子階段でしたし、
この建物はバリアフリーでもあるんです。」

 

 

前川國男はフランスで建築を学んだ。
欧風の「建物と人の関係性」が彼の建築理念の根っこを支えていたんだろう。
建物の入口あったプレートにはこんな事が書かれてあった。

 

“前川國男は「ほんものの建築」を「ほんものの人間」が作ると考えていた建築家です。
建築家は自由の精神に従い尚且つ謙虚でなくてはならない。”

 

 

 



 

 

ここで前川國男について少し触れて行きましょう。
1905年5月14日新潟で生まれた前川國男。
帝大在学中にル・コルビュジエの存在を知り、
卒業後に“渡航期間は2年”という親との約束のもとフランスのコルビュジエ事務所に入所。
前川はこの渡仏期間中に、駐仏武官だった木村隆三氏と親交を深める事になる。
木村氏はのちの木村産業研究所の理事長になる人ですが、
フランスにいた頃から前川に「帰国したら何かを作ってくれ」と口約束をしていたようです。
2人の親交が厚かったのは前川の母親が木村氏と同じ弘前出身だったからでしょう。
とは言え、前川も本当に仕事の依頼を受けるとは思っていなかったかもしれません。
ところが2年のフランスでの修行を終え帰国した前川に、
木村氏は木村産業研究所の建設を依頼するのです。
27歳の前川は当時大喜びした事でしょう。
コルビュジエのもとで修業した成果がここで発揮出来るのです。
もちろんそれにはモダニズム建築に理解のあった木村氏の存在無くしては語れません。
クライアントの見識と予算が潤沢にあった事が、
前川がこの建物に学んだ全てをぶつけられた要因なのです。
そうして完成したのが当時としては考えられない鉄筋コンクリート製の建物。
現在はプチ博物館の館長もされている木村文丸さんはこう語ります。

 

 

木村「前川さんは当時周りに自慢していたようですよ。
“俺が最初の鉄筋コンクリートを作ったんだ!”って(笑)」

 

 

貴賓室と呼ばれる部屋では、当時珍しい丸い支柱。
さらに壁面はカーブを描く様に窓がはめ込まれています。
パイプ製のイスや机も前川さんが自らデザインし、わざわざアメリカで作らせた物とか。

 

 

 

注:窓際に立てかけてあるパイプ椅子は違います

 

 

色々な条件が重なって前川の処女作は幸せな環境の中で制作された訳だが、 


続いて我々が向かったのは弘前市役所
ここは前川が弘前市から初めて請け負った建築になる。

 

 

 



 

 

 

森内「この弘前市役所は1958年の建物。
ちょうど前川さんが建築家としても円熟してくる年齢です。
ですから、先程とは違って町の景観を邪魔しないような配慮が様々なされています。」

 

 

目の前は弘前城公園。
春には満開の桜が目にまぶしい場所であります。
市役所の屋上からはこの公園も一望出来、遠くは岩木山を臨む事も出来る。
コンクリートとレンガ色で出来た外観は、町の景観を損ねる事も無く、
しかし正面玄関の天井には差し色の様に群青色が用いられていたりする。
*群青色は日本の夜明けの色と前川さんは考えていた様です。

 

 

 



 

 

中に入るとコンクリート打ちっぱなしなのだが、
何故だろう?少し温かさを感じるのだ。

 

 

森内「コンクリートなんだけど、木目が見えませんか?」

 

井門「本当だ!これは何故なんですか?」

 

森内「コンクリートを流し込む型枠が木で出来ていたんです。
そこにコンクリートを流すと木目が写る…と。
なので何となく温かみを覚えるんでしょうね。」

 

 

 


木目のように見えます

 

 

 

昔の建築家が凄いのは、完成図があってそこに向かって図面を引いていける事。
森内さんがボソっとそんな事を仰っていた。
この建物は、あくまでも町の景観の中に溶け込ませる事を考えた前川さん。
2階の窓枠(当時の技法で作られているので外の景色が歪んで見える)からの風景は、
弘前公園を何だか幻想的にも映してくれる。

 

 

 

 

 

続いて我々が向かったのは弘前市民会館。
市役所から歩いて10分程の場所で、弘前公園の南の一角に建つ建物だ。
こちらも鉄筋コンクリート打ちっぱなしの外観が、公園の緑に映えて美しい。

 

 

 

 

 

森内「この建物は当時の弘前市長が東京に視察に行った際、
前川さんの建築である東京文化会館に魅せられるんですね。
それで同じようなデザインの建物を弘前にも作れないか、と前川さんに依頼するんです。」

 

 

この建物は棟が2つあり、そこを渡り廊下で繋ぐ構造なのだが、
ポイントとなる物がいくつかある。
管理棟のロビーは帝国ホテルのロビーをモチーフにしている事。
シャンデリアは東京文化会館にも繋がるデザインな事。
ホールの緞帳は棟方志功の作品であるという事。

 

 

森内「この渡り廊下の天井、どうです?低いでしょう?」

 

井門「確かに、Dのサリー(身長190cm)なら余裕で手が付いてしまう…」

 

森内「その高さのままホール棟に入りますよね?」

 

井門「はい、しかもホール棟の1階天井もそのまま低いですね。」

 

 

 

1階の天井に手が届きそうです

 

 

 

何故にこんなに天井を低く作っているのか疑問を抱きながら中に入る。
すると森内さんが左の2階へと続く階段の方に行ってください、と促す。
そのまま何の気無しに階段の方へと進んでいくと…

 

 

 



 

 

思わず息を呑んだ。
今まで低い天井で圧迫感を感じていた視界が、
いきなり階段の上、2階の天井まで吹き抜けで開放されるのだ。

 

 

森内「天井が低い事で我慢をさせるんですね。
それがいきなり開放される事で視点が一気に変わるんです。
前川さんは建物が“弘前公園の中にある”という事を大事に考えたんです。
公園の広さを邪魔しない、緑の中にあるという事を損なわない、
自然と建物を調和させる為にも天井を低くしたりしたんですね。」

 

 

確かに外側から建物を眺めた時も、
建物の周りに植えられた木々が上手くブラインドとなって緑と調和していた。
そして内装はやはり上野にある東京文化会館を彷彿とさせるモダンな造り。
2階に上がると渡り廊下の屋上が隣の棟のカフェへと続いているのが分かる。

 

 

 



 

 

森内「どうです?扉を開放して、この屋上にテーブルを置き、
美味しい食事やワインを並べて…何だか雰囲気ありそうで良くないですか?」

 

井門「良いですね~。ホールに来たお客さんが着飾ってここでお酒なんかを楽しむ。
それが簡単に想像出来てしまう位、ここの造りが洒落てるんだよなぁ。」

 

 

吊るされたシャンデリアは金管楽器をイメージさせる様なモダンな造り。
そしてこの階の壁にも差し色の様に朱色が施されている。

 

 

 



 

 

 

森内「この建物は昭和39年に造られた建物ですけど、
古さは感じますか?」

 

井門「まったく感じません。」

 

森内「そうでしょう?建築は古い新しいは関係無いんです。
コルビュジエもそうなんだけど、古くならないんだよなぁ…。」

 

 

森内さんはそれを「時間を味方につける」と表現された。
経年変化までも逆手にとって、それを建物の味わいにしてしまう。
そして前川さんにはもう一つの想いもあったようだ。

 

 

森内「こうして建物の内装をモダンに着飾らせる事で、
ここに来る人にも着飾って、特別な想いで来て欲しかったんです。
そしてひとつの文化を作っていきたかったんだと思います。
“まずそこに建築ありき”の文化を。」

 

 

 



 

 

 

建築って素直に面白いなぁ…。
森内さんの解説を聞いていると、前川國男の物語が伝わってきて尚更面白い。
実は森内さんは前川國男も勿論だが、
青森県の建築を集めた雑誌「A-HAUS」を発行しているのだが、
そこには建築に対する森内さんの想いが込められていた。

 

 

 


森内さんが手がけている雑誌です

 

 

森内「やっぱり建築を説明する事で更にその魅力が伝わるんです。
ですから建築文化を説明する、建築物を説明する場所としてA-HAUSを出したかった。
建築ってのはどんな町にだってあるんです。
そしてそれを掘り下げていくとオラが町にも偉大な建物がある!って、
何となく自慢出来るじゃないですか?(笑)」

 

井門「確かに森内さんのお話を聞いてると、
前川國男の物語が見えてきて、より建物が面白く見えますもんね…。」

 

森内「ですから僕はその地方、地方に、
それぞれのA-HAUSが出来れば楽しいと思っているんです。」

 

 

そんな話をしながら目の前には前川建築である。 


いつの間にか森内さんも前川國男の事を巨匠と呼ぶ様になっている(笑)

 

 

森内「建築を勉強していく内に巨匠の作品には必ず行き当たります。
最初はあまり気にとめて無かったんですが、
徐々に巨匠の凄さが分かってくる…と言いますか。」

 

 

 

グレイ、レンガ、グリーンが落ち着いた感じです

 

 

 

9月の弘前公園はまだまだ緑が元気で、
蝉の声も聞こえている。
そんな中で紡がれる偉大な建築家の物語。 


我々は最後にもう一つ、前川建築である【緑の相談所】へ向かった。
こちらは1980年の建築で弘前公園の北側に位置している。
この建物の特徴は…

 

 

 

 

 

 

森内「ここは巨匠が初めて斜めの屋根を採用した建物です。
モダニズム建築はフラットな屋根が象徴ですが、
これは雪や景観を意識してその発想を変え、屋根を斜めにしたんです。」

 

井門「正面から見ると普通に見えますが…。」

 

森内「実はこの建物の中庭に、
日本一太いソメイヨシノの木があるんです。見に行きませんか?」

 

井門「ぜひぜひ!」

 

 

中庭は少し開けたスペースになっており、その奥に太いソメイヨシノが生えている。
そこで森内さんはソメイヨシノ側から見た建物を見てください、と言ってきた。

 

 

森内「どうですか?正面から見るよりもモダニズム建築として美しく見えませんか?」

 

井門「確かに打ち込みタイルの外壁の色と良い、建物の形と良い、
こちらからの方が美しく見えますね。何故ですか?」

 

森内「ソメイヨシノは御神木の様なものです。要は神様ですよね。
ですから神様に建物の一番良い表情を見せたんじゃないですかね?
これは僕の憶測なんですけど(笑)」

 

井門「いや、いや!でもそれはそうなんじゃないかな?
だって周りの景観を常に大切に考える方ですよ!
神様からの眺めを最初に考えていたってそれは当然ありそうな話です!」

 

森内「意図は想像するしかないんですけど、
こっちからの眺めの方が綺麗じゃない?
これぞモダニズムって感じがしますよね(笑)」

 

 

 


真ん中の太い木が御神木の桜です

 

 

森内「巨匠の建築には愛があるんですよね。
自分の仕事に真摯に取り組んでいるのが滲み出ている。」

 

井門「やはりその辺りが巨匠の魅力ですか?」

 

森内「えぇ、時代というのは常に変わっていくものだけど、
巨匠の建築からは“人と共に生きていく”という気概が溢れている様に感じます。」

 

 

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建物とそれを作った建築家には物語がある。
耳を澄ませば、それが聞こえてくる。
今回の旅では前川國男建築を取材し、巨匠の人生を訪ね歩いたが、
取材が終わった後には巨匠の建築と人生に魅せられている自分がいた。
建築文化は世界中に存在する。
それは皆さんの町でも必ず。
ひょっとするとその建築物を調べれば、
意外な町との繋がり=物語が見えてくるかもしれない。
そしてその物語を読んでみれば、
きっと自分の暮らす町への愛着がもっともっと湧いてくる事だろう。
建築こそ、町への愛が大前提だ。
まだ名も知らぬ建築家たちが、
どんな想いで自分達が暮らす町を見ていたのか?
そんな事を探っていくのも、面白いかもしれませんね。